京都の骨董市で宝探し。ずっと続いてほしい、古いものを大切にする文化
みなさま、こんにちは。
今日は京都のお気に入りスポットのご紹介です。
京都に数年間住んでいましたが、その間一番夢中になったのは蚤の市に行くこと。
フランスにいた時もせっせと蚤の市に通いましたが、その理由といえば「どんな物に出会うかわからないその面白さ」に尽きます。
まぁ、上等な古いが好きならば骨董屋さんにいけばいいのですよね。
セレクトされた状態の良いものが見つかります。
でもお値段は結構するし、その店主さんのカラーがはっきりしているので合わない時は合わない。
しかしながら蚤の市は思いもよらない出会いがあることがある。
目が利く人がいけばお宝発見ということもあります。
私は自分が気に入るかだけでお買い物をするので、希少性などはあまり気にしません。
でも自分が「コレ!!!」というものと巡り合うこともそうそうはないのです。
だからこそのワクワクがあります。
さてさて。
京都ではあちこちで小さな蚤の市は開かれていますが、メジャーな場所はふたつ。
毎月21日に東寺で開かれている弘法さんと、毎月25日に北野天満宮で開かれている天神さんです。
そしてもう一つ、同じく東寺で毎月第一日曜日に開催されているガラクタ市。
私が好きなのはガラクタ市。
規模は弘法さんより小さめですが、うぶ出しの骨董屋や古道具が並びます。同時にただの使い古しのジャンクものもかなり出るのでいいものばかりではありません。
ですが初めてこのガラクタ市に行った時の興奮といったら!
東京のセレクトショップなどでうやうやしく置いてある昭和の小皿なんて「もう価値ないわ」みたいな感じで山積みにされているし、レトロなガラスの食器もびっくりする値段で売っています。(東京からバイヤーさんがくるそう。)
「こ、こんな世界が・・・。」
飛び跳ねるような気持ちでお店を隈なく見たのはいうまでもありません。
でも...。
悲しいことに和のものに目が利かない。
単なる現代のものの使い古しや安物も混ざっているのですが、どれがどれだかわからないのです。
お値段もついてないものが多いし、店主のおじちゃん達はなんだか怖そうだし、質問ができる雰囲気ではない。
なので初回は何も買えず。
見ただけで満足して帰宅したのを覚えています。
その後、毎月第一日曜日には早起きして市へ突入。
とにかく見る。
お値段がしっかりついているお店(割と高級なところは全部にシールが貼られています)のものをしっかり見る。
とにもかくにも見ることを重ねたところ、だんだん違いがわかってくるようになりました。
同じようなものが沢山出ているのはあまり価値がなかったり、「あ、これいいな」と思ったものが一周して戻ってくると忽然と売れていたり。
毎月通っているとおじちゃんと顔馴染みになって色々教えてもらえるようになったり。
掘り出し物も少しずつ見つけられるようになりました。
ある時は金沢から来られているお店で古い浮世絵のプリントセットを発見。
一つの冊子に8枚入っているもので、おじちゃんに値段を聞いたら嘘のような金額。
1920年代に印刷と記載されており、蔵に長い間保管されていたものだそう。
絵柄が全部異なっていたので「3セットください ! ! 」と買い占め。
そこにおじちゃんの奥さんのおばちゃんがやってきて「あんた、これいくらにしたの ?」
おじちゃんが値段を告げると「!!!そんな値段ダメでしょ!!!」
おじちゃん困っておりましたが、私には「いいんだよ〜」と笑顔。
そして、そのプリントは長い間蔵にあったけれど大切にされていたこと、蚤の市の前日に引き取ってきたばかりだということなど、お品の出どころやエピソードも色々と教えてくれました。
長い間眠っていたその絵はこうして私の元へ。
今では額縁に入れられ和室の壁を彩ってくれています。
そして数十枚の内の何枚かは外国へ。
そんな風に、色々な価値ある(その人にとって)物が、捨てられたりするのではなく次の人に手渡されていくといいなぁと思うのです。
使い捨て文化は何も生まない。
長く愛されるような物が残っていってほしいし、そのような物を作る人たちが豊かに生きていける世界であってほしい。
私たちが見る目を磨けば自ずと本物だけが残っていくでしょう。
古いけれどまだ魅力を放つ物たちの後ろには、それらを懸命に作られた方達がいます。
その方たちとも出会う事ができる。
それも物を手に入れる喜びの一つだと思うのです。
写真1 東寺 それ以外は北野天満宮。
北野天満宮では美味しいお野菜や古い着物などがおすすめ。